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1947年 尾崎家長男として徳島県海部郡宍喰町に生まれる。元軍人の厳しい父とやさしい母に徳島の恵まれた自然の中で育てられた。小さい頃から活発でとにかく足が速く、運動神経抜群だった。
1964年 地元徳島海南高校のエース打者として春の選抜高校野球に出場し全国制覇する。
1965年 甲子園での活躍を買われプロ野球の西鉄ライオンズに入団。何事も順調に見えたがプロの世界で思うような活躍が出来ず、4年間在籍した球団を退団しゴルフへと活動の場を移すことを決意。コレがジャンボ尾崎の輝かしい活躍へのターニングポイントとなる。その後、名前を正司から将司へと変え千葉に移り住んでゴルフ場で働く傍ら練習を積んだ。
1970年 努力が実りプロテストに一発合格してプロゴルファーへの道を自ら切り開いた。この年の夏にはデビュー戦である関東プロに出場。新人とは思えない飛距離と小技ですぐにその名は知れ渡った。
1971年 周囲の期待に押されつつ日本プロではゴルフをはじめて3年という驚くべき成長で初優勝。 これ以降にも勝利を重ね、年間5勝を挙げる大活躍でプロツアー本格参戦一年目に堂々たる成績を残した。ジャンボ尾崎の出現はゴルフブームに再び火をつけ、71年に34試合だった試合数が72年には47、73年には52と急増した。試合数が膨れ上がっただけではなく、年間獲得賞金額による賞金シード制も取り入れられ、今あるプロゴルフトーナメントの基盤を築く立役者となった。
1973年 年間5勝を挙げて初めて賞金王のタイトルを取った。(1998年までには12回も賞金王に名をつらねることとなる。)
1994〜98年 なかでもこの5年間は誰にも賞金王の座を譲ることはなかった。
1996年 11月17日、ダンロップ・フェニックス3連覇でプロ通算「100勝」を達成。
2002年 『全日空オープン』で2000年のサンクロレラクラシック以来2年数ヶ月、777日ぶりとなる復活優勝を果たした。55歳という年齢での優勝はツアー最年長記録更新した。
2005年 マンダム・ルシード よみうりオープントーナメントで前人未到の「生涯1000試合出場」という偉業を成し遂げた。中嶋常幸らと共にAON時代を築き一世を風靡し、世界でも類を見ない113勝という優勝数の多さで長い間日本ゴルフ界の第一人者として君臨してきた。

シニアツアーに出場してもおかしくない年齢ではあるが、その卓越した技術やスター性は今なお健在である。 持病の坐骨神経痛の影響もあり近年は優勝から遠ざかっているものの、豪快かつ華のあるプレーでファンを魅了している。
年々悪化する腰痛に悩まされながらも試合に出場し奮闘するものの、不本意な結果に終わった2006年。足かせであった病と向かい合いオフに手術という道を選択した。2007年は身も心も新たに新生ジャンボの誕生である。